2月にしてやっと雪が降ってもすぐに春一番が吹いてカラフルday。

 

先日、ご近所のおばあちゃんの四十九日の法要にお呼ばれしました。
七日ごとの法要も滞りなく済んで
おばあちゃんも無事仏さまになりましたの法要です。
お葬式に参列してもう七七忌です。

七日ごとに
おばあちゃんはこの世の穢れを仏様の助けで脱ぎ捨て
七日ごとに
美しく清らかな魂になり
七×七=49日で仏さまに生まれ変わるのです。

お葬式ほどの悲壮感もなく、思い出されることすべてが懐かしく、
静かに流れる時間も心地よく
お坊様たちの読経のハーモニーの美しさに聞きほれます。

 

私が小さいころお世話になったおばあちゃんは
今は写真の中で静かに微笑んでいて、
あんなことやこんなこと、話したこと、表情までが思い出され、
若かった父や母の姿までが一緒に浮かんできます。

 

確かに思い出の中で死者はまだ生きている、それも生き生きと。

 

死者と生きてる者が同じ空間にいて、
その橋渡しにお坊様がいらして
なんだか不思議で、それでいてとても落ち着くこの時の流れは何なのでしょう。

 

若いころは法事なんて面倒くさいとしか思えなかったし、
親族やご近所、ご縁のあった方の毎度の法事に父母や祖母たちが嬉々として参拝しているような感じが不思議でならなかったのですが、

 

先に旅立たれた方との思いを共有していたのだ、この空気を慈しんでいたのだと
この年になって理解できました。

 

「息を引き取る」という言葉がありますが、
これは死ぬ側の言葉ではないらしい。

 

人は誰も死ぬときは必ず息を吐ききってなくなるそう。
息を吸って死ぬことはないとか。
死にゆく人が息を吐ききってその生命を閉じたとき、吐いたその息を周りで見守っていた人たちが引き取ること。
「息を引きとる」とは
亡くなったあなたの人生・生き方を今この瞬間私が引き取りますね。という意味だそう。

 

なくなる方を「死んだ」で終わらせるのではなく
その方の命を次の世代が引き継ぎ、命は連綿と受け継がれていくもので
私と一緒に生きていくんだよという決意の言葉でもあるようです。

 

最近、仏教を葬式仏教だとか軽く言われることが多いようですが、
法事というしきたりは
1分1秒忙しく過ごす我々を強引にも立ち止まらせ
生死や人生についてちょっと考えさせてくれるるありがたいものかも。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

あなたの一日が幸せ色に包まれたカラフルdayでありますように。