年の瀬もいよいよ迫って誰もがせわしげなカラフルdays。

令和ゆかりの坂本神社でも新年の準備に大わらわとか。
「去年の初詣は100人だったけれど、令和二年の元日には1万人を超える?2・3万人くらいかも」と氏子会の方。新年の準備に余念がない様子が、ニュースで流れていました。

あなたもご存知のように大伴旅人が山上憶良らを招いて酒宴を開いたという所にある神社。その時の詞書(ことばがき)から新年号が生まれました。近くに観世音寺があり今でも風情のあるところです。

 

わたくしめが気になってしまうのは、旅人さんの心境ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつては大伴家は天皇家とも近く当時第一級の貴族で権力もあり、政治にも大きな力を持っていました。
しかし、じわじわと宮中や政治に影響力を持ち始めた朝鮮系の藤原氏の台頭により、次第にその力を奪われていきます。大伴旅人にはもはや以前のような華々しい活躍の場はなく、後年は自分の非運を嘆くことになります。

 

で、大宰府の長官として赴任した旅人さん。(当時の外務省関連の機関・役所がありました)
今でいえば外務省の大臣。聞こえはいいのですが遠く朝廷(天皇のお傍)から離れ、政治の蚊帳の外的立場です。

そんな中で開かれた酒宴には、山上憶良が招かれていました。彼は貧しい庶民の生活に寄り添った社会派歌人として貧窮問答歌などで有名ですが、立場はほんの下級役人。昔の旅人さんとなら酒宴に同席することなんてありえない階級の人なのです。
さらにその後には息子の家持さんが万葉集を編纂し、山上憶良の名が後世に残ることになります。

 

花をめでつつ歌を詠み酒宴を楽しんだ旅人さんですが、その心の隅っこにはどんな思いが去来しただろうかと思ってしまいます。

 

そんな大伴家に生まれ育った家持さんは、大貴族の栄華を経験し傾く家の様子も実感しつ跡継ぎとして大切に育てられました。彼には藤原氏に対抗し家を再興するほどの欲や力はなかったのでしょうか。かなり頑張ってはいたようですが、あの万葉集を編纂した天才的文学の才能と俗世の欲にまみれた政治闘争を生き抜く知恵とはなかなか両立できなかったようで。

 

万葉集の最後の歌は、家持さんが因幡(今の鳥取県)の国司として新年のあいさつで家来たちの前で読んだもの。

「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事」
~新年の雪は吉兆と言われるが、今日降る雪のようにいいことがどんどん積もっていきますように~

 

この歌を最後に家持さんは文学史のうえで一切名前が出ることがありませんでした。
晩年まで万葉集の編纂・整理に専念したのではないかということです。

 

大伴家の親子二代にわたる斜陽の家運の中で悩み生き抜き、隠れた天才の発見、日本人の心と感性に大きな影響を与えた万葉集の誕生など後世にわたり日本人の心に多大な影響を与え、文化的遺産を残した二人に改めて驚きます。

 

令和という年号を目にするにつけ、この二人の人生と思いを想像して涙してしまうわたくしめでありました。

 

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

あなたの一日が幸せ色に包まれたカラフルdayでありますように。

残り少ない令和元年、お健やかに新年を迎えられますように。